木は一枚の絵としてではなく、根と幹と枝と実に分けて読まれてきた数少ない像です。どの部分を覚えているかで読みが動くため、思い出せる部分から入り、最後に木の種類そのものが背負うものに触れます。
夢に出た木を思い出すとき、たいていの人は全体ではなく一部分を覚えています。根が土から出ていた、幹に空洞があった、枝に実が残っていた。木の解釈が下から上へ層に分けて積み上げられてきたのは、この覚え方に合っているからです。全体としては、来歴と方向を持った一つの生き方、急がせることのできない育ち方を表すとされ、急転する時期よりも長くゆっくりした時期に現れやすい像とされます。
季節の記憶が持ち込まれることもよくあります。台風のあと、街路樹の剪定を見た日、久しぶりに山を歩いた週末。木は日常の風景に多く、前の日に目に入ったものが夜に出てくるだけの夢も相当あります。印象が薄く、ただ立っているだけの木はその種類の夢であることが多いようです。
自分で切り倒す場面と、すでに倒れているものに出くわす場面は、人をいちばん落ち着かなくさせる型です。読みは斧を握っていたのが誰かで変わります。自分で倒した木は、意図して何かを終わらせることと理解され、決断への後悔が添えられることもあります。風や見知らぬ人によって倒された木は、外から来る変化を指します。どちらも誰かの健康や寿命について語るものではなく、そう主張する民間の説は解釈ではなく俗信です。
何より先にこれを思い出します。オリーブ、白樺、公園のクスノキ、街路のプラタナスでは、育つ土地ごとに背負っているものが違い、木の象徴はかなりの部分が地域的です。さらに言えば、子どもの頃に知っていた庭の一本は、その庭が抱えていたものをそのまま連れて出てきます。一般的な意味では太刀打ちできません。種類を言える人は、たいていその名前の中に答えを見つけます。