同じ街なのに、地形だけが組み替わっている場面。都会の夢で最もよく語られるのはこの形です。伝統は街を、他人と機会と往来が詰まった場所として読み、迷う場面は土地より選択に結びつけてきました。
乗り換えを繰り返しても着かない駅、近道のつもりで曲がった先のありえない場所。都会の夢で覚えているのは高い建物の眺めではなく、こうした道のおかしさのほうです。伝統は都市を、その人の社会的な世界として読みます。どこかへ行くために通り抜けなければならない、他人と機会と往来の一式です。
人でいっぱいの街は要求として理解されます。約束事、騒がしさ、大勢の中の一人であるという意識です。明かりがついているのに人のいない街はまったく別に扱われ、囲まれているはずの場所での孤立として読まれます。高い場所から街を見下ろす場面には、見晴らしという古くからの連想があります。自分の状況の中に立っているのではなく、その模様のほうを眺めている状態です。街で迷う夢はほぼ誰もが見るほど一般的で、道順よりも選び取ることの難しさを映すとされます。
知っている街が並べ替えられた版は、夢の舞台として最もよく語られるものの一つです。解釈者はこれを、形が変わってしまった生活の一部に結びつけてきました。組織替えの後の職場、仲違いの後の友人関係、自分には合わなくなった地元などです。道を知っているようで知らないというあの感覚が肝心な部分で、引っ越しの前後や、転職して最初の1か月に報告が集中します。夜の街と昼の街を分けて扱う資料もあります。看板と車の音がそろっている昼の街は現実の段取りに、明かりだけが残る夜の街は考え事のほうに寄せて読まれてきました。
住んだことのある街、出ていった街、映像でしか見たことのない街は、一つの名前をかぶった三つの別の象徴です。小さな町で育った人と、都市以外で暮らしたことのない人とでは、夢の中の都市空間の読み方がかなり変わります。一度も行ったことのない外国の街として出てくる形も多く、その場合は、まだ足を踏み入れていない領域の像として語られます。どの版であっても、街の名前より、その街で何をしようとしていたかのほうが手がかりになります。