目覚めた瞬間に水が飲みたかったかどうか。この一つの問いだけで、砂漠の夢のかなりの部分は説明がつきます。象徴に手を伸ばすのは、そのあとでも遅くありません。伝統の側の二つの読みも整理しています。
砂漠は暑くて乾いています。暖房を切り忘れた夏の寝室も同じです。口の渇き、鼻づまり、遅い時間まで飲んだ翌朝の脱水、空気の動かない部屋。どれも風景として夢に現れます。眠っている頭は、体が報告している状態のまわりに景色を組み立てるためです。風邪をひきかけた夜や、話し続けて喉を使った一日のあとにも、同じ景色が出てきます。
そのうえで砂漠は、伝統的な読みが正面から食い違っている数少ない風景でもあります。片方の系統では、空白と渇き、支えてくれるものから切り離された状態を表します。もう片方はもっと古く、人が暮らしを削ぎ落とし、自分の考えを聞くためにわざわざ出かけていく場所として扱われます。どちらも残ってきたのは、見る人によって夢の手ざわりが本当に違うからだとされます。同じ砂の上を歩いていても、追い詰められた記憶として残る人と、静けさとして残る人がいます。
乾いた土地で育った人にとって、砂は不在ではなく家です。この事実は伝統的な読みを丸ごと上書きします。実際に砂漠を旅した人はこの夢を広々として清潔だと語り、映画の中でしか知らない人は同じ景色を敵意のあるものとして語ります。伝統が示すのは出発点までで、矛盾した二つの読みのどちらが自分のものかは、その土地での足もとの記憶が決めます。
渡り切ったかどうかを覚えていない人が多いのも、この夢の特徴だとされます。渇きの型でも退く型でも、語られているのは今の消耗と回復の具合であって、行き先ではありません。