見慣れた町なのに、どの道も本来の場所に着きません。道に迷う夢の舞台はたいてい知らない外国ではなく、生まれた町や以前の職場です。伝統はこの迷いを、地理ではなく進路の問題として読んできました。
引っ越しの直後、新しい仕事の最初の一か月、長い関係が終わったあと、課程が修了したとき、国をひとつ移ったとき。道に迷う夢はこうした変わり目のまわりに集まります。素直に大変だった移動のあとにも見ます。充電が4パーセントの電話を握って知らない町を回った夜のある人なら、材料の出どころに心当たりがあるはずです。ふつうの解釈は、この夢を地理の話ではなく進路の話として扱い、まだ開いたままの決定や、以前は通用したのに今は通用しなくなった道すじの像としてきました。
街で迷う夢では、通りの名前が変わり、覚えのある角を曲がると何もない場所に出ます。頭の中の地図より早く暮らしの形が変わった場面と同じ棚に置かれます。建物の中で迷う夢は、廊下が輪になり、あるはずのない階があり、扉が反対側についています。役所や病院、学校のような組織を相手にしている時期の報告が目立ちます。電池の切れた電話を持って迷う夢は、とても古い夢に加わった新しい型で、機械の話ではなく自分の外にあるものへの依存として読まれます。連れがそのまま先へ歩いていってしまう夢では、重心が方向から居場所のほうへ移ります。
この夢の後味にも差があります。焦りだけが残る場合と、不思議と落ち着いていた場合があり、後者は迷うこと自体が苦にならない時期と結びつけられてきました。起きてからしばらく、方角がわからない感覚が続いたという話もあります。夢の中で歩いた距離と、実際に眠っていた時間はまるで釣り合いません。
舞台になるのは、たいてい知らない外国ではありません。生まれ育った町や以前の職場が、どの道も本来の場所に着かない程度だけ作り変えられている、というのがよく語られる形です。だからこそ、同じ像でも人によって受け取り方が違います。道案内を仕事にしている人や山を歩く人は、この状況を手順のある職業上の問題として受け止めます。もともと方向感覚がないという人は、背景の雑音として流します。どちらの反応も間違いではなく、どちらも固定された意味より役に立ちます。この夢は、居場所がわからないという状態と長年どうつきあってきたかから組み立てられているからです。