手に持っていたのか、手渡されたのか。中身は傷んでいたのか。リンゴの夢では実の状態と受け取り方が読みの大半を決めます。健康と豊かさに寄せる広い伝統と、誘惑を重ねる狭い伝統が並んで残っている経緯もあわせて見ます。
解釈者はリンゴという果物そのものより、その状態に重みを置いてきました。よく熟した実と虫の入った実はまったく別の象徴として扱われ、どちらを持っていたかは覚えている人がほとんどです。切った断面まで覚えている話もあり、中だけが傷んでいた型は外から見えない事情と重ねられます。
青い実、固い実は、早すぎた試みを言い表す型として長く読み継がれてきました。良い実の中に一つだけ傷んだリンゴがあるという絵には、まとまり全体を疑わせる一点をめぐる古い読みがあります。自分でもいだのか、手渡されたのかも別々に扱われます。伝統は、こちらから手を伸ばしたかどうかを気にするからです。かじった跡の残る実、切り分けられた実も別に語られ、どこまで手をつけたかが読みに関わるとされます。
贈り物としてのリンゴも夢によく出てきます。見舞いに持っていく果物、収穫を分ける習わし、箱で届く秋の便り。どの土地でもリンゴは人から人へ渡る果物で、渡す側だったのか受け取る側だったのかで読みが変わるとされます。渡そうとして受け取ってもらえない型もあり、こちらは差し出したものが宙に浮いた場面とされます。
収穫としての読みのほうが古く、範囲も広いものです。手の中のリンゴ、実をつけた木、机に置かれた器。どれも足りている状態、実を結んだ仕事、順当に巡ってきた季節を指すとされます。誘惑としての読みは狭く、特定の文化の受け継ぎに属します。そう断ったうえで扱うのが正確で、その連想を持たない土地では、この読み自体が現れません。木から落ちた実、地面に転がった実は、時期を過ぎたものと見なされてきました。辞書によって正反対の答えが返ってくるのは、この二筋が混ざっているためです。
強い個人的な連想があれば、ここまでの読みはどれも残りません。果樹園の近くで育った人、体質で食べられない人、リンゴといえば特定の台所と特定の誰かを思い出す人。品種や色の記憶も人によって違い、青いリンゴが当たり前だった土地と、赤い実しか見なかった土地では、思い浮かべる絵そのものが別です。外から見れば同じ絵でも、手にしている物が違います。