檻の中にいたのか、道をふさいでいたのか、こちらを素通りしたのか。ライオンの夢は動物の側ではなく、見ていた人の立ち位置で読み分けられてきました。追われる夢はさらに別の一族に属します。
同じライオンが出てくる夢でも、向き合っていたのか、背中を見送っていたのかで扱いはまるごと変わります。長い解釈の歴史のなかで、この動物は説明を求められない力として置かれてきました。ただし読み方の重心は動物ではなく、見ていた人がどこに立っていたかにあります。向き合う夢、逃げる夢、餌を与える夢、横を通り過ぎる夢は、一つの夢の四つの形ではなく、四つの別の夢として並べられます。
各地の古い夢の本は、ライオンが中立の存在になることはほとんどないという点で一致しています。見ている側が落ち着いていて、動物のほうも静かなままなら、折り合いのついた力として読まれます。自分の力のこともあれば、誰か別の人の力のこともあります。道をふさぐ姿は、迂回できずに向き合うほかない障害として長く語られてきました。檻や鎖につながれた姿はまた別で、事情や礼儀、あるいは解き放った後を恐れる気持ちによって抑えられている力とされます。
姿は見えず吠え声だけが届く夢は、出どころの分からない批評や声と結ばれます。子を連れた雌は、攻撃性ではなく守る側の気配として読まれます。こちらを素通りする個体は、襲われるより落ち着かないと語られることが多く、意見の重い相手から数に入れてもらえない感覚に重ねられます。安全に触れられる場面のほうは、自分の気性や野心と折り合えている状態とされます。
追われる夢は、より広い追跡の夢の一族に属します。この型は危険の知らせというより、何かを避けて過ごした期間の後に現れやすいことが知られています。先延ばしにしたままの話し合いが数週間分たまっていれば、眠っている頭には追跡の場面を組み立てる材料が十分にあります。
この夢は対決を予告しませんし、必要なときに勇気を配ってくれるわけでもありません。動物園に行った週末、旗と紋章の並ぶ試合の午後、寝る前に見た自然番組。きっかけはその程度のことで足ります。大型の猫科と働く飼育員と、子どもの頃から怖がってきた人では、同じ動物が同じ意味を持ちません。自分の年月のなかでこの動物が担ってきたものが、辞書のどの項目よりも先に来ます。