もがいて水面に届く型、静かに沈んでいく型、誰かが沈むのを見ている型。溺れる夢はこの三つに分かれ、読み方もそれぞれ別です。水を感情の量として扱う古い比喩と、身体の側の事情が絵を作る仕組みを合わせて見ていきます。
手が回らない時期を、水の下にいるようだと言い表す言い回しは各地にあります。夢の側もほぼ同じ道を通っていて、溺れる絵は抱えきれない状態と結びつけられてきました。水が感情を、その量がどれだけかを表すという読みで、夢の語彙の中でも分かりやすい比喩に入ります。危害の前触れとして扱う読み方はありません。
型はきれいに分かれます。もがきながら水面に届く型は、失敗ではなく負荷の中で持ちこたえている姿として読まれ、実際には溺れていなかったと後から気づく人が多くいます。水面から顔を出したところで目が覚める型も多く、そこで終わることが救いとして語られます。静かに沈んでいく型は思いのほか報告が多く、続ける気力の尽きた争いを手放すことと重ねられます。浅い水で溺れる型は不釣り合いさの残る報告として知られ、大した量ではないはずのものに手こずっている感覚と重ねられます。誰かが沈むのを見ている型は最もつらい報告で、その人に何かが起きるという読みではなく、手が届かない相手への無力感として扱われます。
鼻が詰まっている、掛け布団が重い、うつぶせで寝ている、部屋の空気がこもっている。こうした状態はしばしば水として現れます。眠っている頭は、届いている感覚に合わせて話を組み立てるからです。これは象徴の読みを置き換えるものでも、何かを診断するものでもありませんが、深い意味を掘る前に知っておくと説明のつく夜がかなりあります。息苦しさで目覚める状態が長く続く場合は、夢の意味ではなく眠りそのものについて医師に相談する人もいます。
泳ぎの得意な人と深い水が怖い人は、同じ絵に正反対の履歴を持ち込みます。たいていは履歴のほうが強く出ます。一度溺れかけた経験のある人は象徴を読んでいるのではなく、記憶に出会っています。水の場所も効いていて、ほかの細部が消えても水の種類だけは言えるという人が多く、閉じた小さな浴槽と、岸の見えない外海とでは、伝えられてきた重さも別になります。濁っていて底が見えなかったのか、澄んでいたのかを覚えている人も多く、見通しの利かなさとして語られます。