場所も時間も薄れるのに、誰が握っていたかだけは残ります。自分の手にあれば切り離す力として、他人の手にあれば向けられた言葉として読まれ、切れない刃にはまた別の古い読みが用意されています。
刃物の夢では、場所や時間より先に手のほうが記憶に残ります。誰が握っていたか、この一点で伝統は真っ二つに分かれます。自分の手の中にあるナイフは能力として読まれ、切り離すこと、長くつながったままの何かを決めることを表します。他人の手にあるナイフは脅威として読まれ、暴力よりも言葉として扱われることが多く、古い集成は刃を人を傷つける言葉になぞらえてきました。
刃を向けられる、切られるという夢は目覚めがつらく、釣り合いを取って扱う必要があります。伝統は傷を象徴として読み、自分や誰かの体についての情報とは見なしません。これから何かが起きる警告としても扱われません。実在する人物が刃を持っていた場合、慎重な読み手は同じことを言います。夢はその人に対する感情を映しているだけで、感情は証拠ではありません。
良い読みのほとんどは、道具を道具として使う場面から来ます。パンを切る包丁、荷物の紐を開く刃、綱をきれいに断つ一振り。これらは意図した切り離しとして理解され、何かを終える途中で、すでに心が決まっている人によく現れます。切れないナイフは反対の読みを持ち、報告も驚くほど多く、手に負えない道具で仕事を終えようとしている状態を写した型とされます。まったく刃の立たない刃物は、何世紀も前から、形になった苛立ちとして辞典に載ってきました。
研ぐ場面も古くから記録されています。使う前の支度として読まれ、これから始める仕事に向けて整えている時期と重ねられてきました。刃が欠けている、柄が外れるという夢は、そこまで手が回っていない状態と結びつけられます。
ナイフは多くの人が毎日触れている道具でもあります。火曜に指を切ったことのほうが、どんな象徴よりも水曜の夢をよく説明します。そのうえで決め手になるのは、この道具が自分にとって何なのかという点です。料理人と、かつて刃を向けられた経験のある人と、見るのも苦手な人。三人はそれぞれ別の夢を見ています。刃物を扱う仕事の人がこの夢を象徴として語ることはまれで、切れ味や置き場所の話として覚えていることが多く、それはそれで正しい読み方になります。