当たらない拳、止めに入る夢、遠くから眺めるだけの夢。喧嘩の夢は形ごとに分けて読まれ、共通しているのは、昼のあいだに置き場所を見つけられなかった衝突という説明のほうです。相手が誰かも先に問われます。
殴り合う夢では、暴力そのものより相手が誰だったかに重きが置かれます。顔のない襲撃者は名前をつけられない圧力として、同僚や親族は実在するのに口に出されていない摩擦として読まれてきました。自分自身と、あるいは自分の顔をした誰かと戦う夢は、二つの方向に引っ張られている決めごとの絵とされます。勝つ、負ける、当たらないの三つはそれぞれ別に扱われ、最後の形がいちばん歯がゆいと語られます。
この項目は言い争いの夢とは分けて扱われます。言葉でやり合う夢では内容や言えなかった一言が中心になりますが、殴り合う夢では体の記憶のほうが強く残り、目が覚めても心臓が速いままです。格闘技を週に何度も稽古している人と、現実の暴力を受けた経験がある人とでは、同じ場面の意味がまるで違います。自分の来歴は、どの解釈よりも先に読みの一部に入ります。
自分は殴っていない場面もよく報告されます。誰かの喧嘩を止めに入る夢は、他人の衝突を背負い込んでいる状態として読まれ、離れて見ているだけの夢は、関わるかどうかを決めかねている時期と並べて読まれてきました。相手が一方的に強い場合には、力の差そのものが読みの中心になります。
速さの出ない拳、当たっても乗らない力。この細部を報告する人はとても多く、あまりに一貫しているため、象徴というより夢の中で動きが作られる仕組みの一部に見えます。声が出ない、足がすくむといった細部も同じ場所から来ていると説明されてきました。伝統はこれを無力さとして受け取りました。同じ報告に二つの説明が並んで成り立ちます。
荒い夢を見ることは荒い性格の証拠ではなく、予行でも計画でもありません。とても穏やかな人が攻撃的な内容を報告します。多くは、言わずに飲み込んだ一日のあとです。こうした夜が続き、朝になっても消耗が残るようなら、夢に伝言があるからではなく、ひどく崩れた眠りはそれ自体が手当てに値するので、信頼できる相手に話しておく価値があります。