犬種を覚えているなら、それがいちばんの手がかりです。眠りは実際に会った一匹を選んでくることが多く、その一匹との記録のほうが辞書より先に立ちます。伝統の読みは二つに割れたまま残されました。
犬の夢の報告を並べてみると、出てくるのは犬という生き物一般ではなく、たいてい実際に会ったことのある一匹です。名前まで言える人も少なくありません。そのうえで伝統的な読みは、この姿を二つに割ったまま置いてきました。寄ってくる犬は忠実さや守り、そばにいてくれる存在。うなる犬や噛む犬は向きを変えた忠誠、つまり安全だと思っていた側から来る敵意。古い解釈書はどちらか一方を選ばず、両方を並べて残しています。
不在に関わる型は報告が多いほうです。呼んでも来ない、探しても見つからない犬は探しものの夢の仲間に入れられ、取り戻そうとしている何かを指すと考えられてきました。かつて飼っていた犬が出てくる夢は、その子を見送った人にはごく普通のことで、象徴として解く必要はまったくありません。親しい人を亡くした人が語る訪問と同じもので、喪失をまだ抱えている印だとされます。別れの直後はしばらく続き、やがて間隔が空いていったという語り方も多く見られます。
挨拶するように近づいてくる犬は、頼れる支えと結び付けられます。吠えるだけで襲ってこない場合は脅威よりも知らせと受け取られ、生活の中で騒がしく注意を求めているものを指すとされます。噛まれる型はいちばん説明を探される形で、裏切り、あるいは果たしていない義理への後ろめたさに結び付けられてきました。群れで現れると読みが変わり、恐れは一匹ではなく数のほうに向かいます。鎖につながれた犬や、こちらを見たまま動かない犬を挙げる報告もあり、そのときは動きの止まった関係のほうへ話が寄ります。
辞書よりも、自分と犬との記録のほうが重い場面です。子どものころ噛まれた記憶を持つ人と、15年家族として暮らした犬を知る人とでは、同じ姿でも別の生き物になります。犬を不浄と見る土地もあれば、寝床を分け合う土地もあります。同じ犬種でも、番犬として飼われる土地と家族として迎える土地では、背負っている意味が違います。犬種を覚えているなら、それも手がかりです。眠りは実際に会った特定の一匹を選んでくることが多いためです。