猫については古い記述が真っ二つに割れていて、片方だけを採るとかえって読み違えます。二つの流れがどこから来たのか、判断を分ける細部はどこか、そして自分が知っている猫の記憶がどこまで効くのかを順に見ていきます。
足音を立てずに近づき、呼んでも来ないのに気が向けば膝に乗る。猫のこうした振る舞いが、そのまま夢の読み方を二つに分けてきました。一方では家に落ち着きと幸運を運ぶ存在とされ、もう一方では身近にいながら本心の見えない相手の象徴として扱われます。
飼っている猫が出てくる場合は、休みたい気持ちや一人でいたい時間など、すでに自覚している部分を映すとされます。見知らぬ猫やのら猫は、招いていない何かが状況に入ってくる合図と読まれてきました。引っかかれたり威嚇されたりする場面は、危険よりも、距離の取り方を間違えた相手との摩擦を指すとされてきました。子猫は、かわいらしくて手のかかる小さな責任の姿です。
前の日の記憶がそのまま出てくる夜も相当あります。通勤路で毎日見かける猫、動画で見た子猫、家の中を歩き回る飼い猫の足音。強い感情が残らなかった夢は、日中に目に入ったものが流れ込んだだけということが多いようです。ただし何日も続けて現れる場合や、同じ猫が同じ場所に出てくる場合は、細部を書き留めておくと後で読み合わせる材料になります。
独立心を美点と見た土地では、猫は自分の間合いを崩さない落ち着きの象徴になりました。逆に、そばにいるのに何を考えているか分からない点を警戒した土地では、同じ性質が隠しごとをする者の姿に置き換えられます。どちらも猫をよく見た結果であって、片方が誤りというわけではありません。
そのため辞典だけでは結論が出ません。手がかりになるのは猫がどう振る舞ったか、そしてそれを見ていた自分がどう感じたかです。足元で眠る猫と、暗い戸口からじっとこちらを見ている猫は、同じ動物でも別の夢として扱われます。
ここから先は言い伝えより個人の記憶が強く働きます。三匹の猫と育った人と、幼い頃に深く引っかかれた人と、猫のいる部屋で目がかゆくなる人では、同じ場面を見ても残るものが違います。夢の猫は一般的な象徴ではなく、自分が知っている猫の記憶から組み立てられているので、まずそこを思い出すところから始めます。