夢の中では、同じ行が二度目に別の文になっています。これは失敗ではなく眠っている脳の普通の働きで、起きているときの読む力とは関係がありません。そのうえで、読む行為に置かれてきた意味を見ます。
夢だと気づく練習をしている人は、確認の方法として文字を読み返すことがあります。二度目に同じ行が読めれば起きている、というわけです。これが手がかりとして通用するほど、夢の中の文字は落ち着いていません。行が並び替わり、一度目と二度目で文が変わり、言葉に見えるのに言葉ではない形へ崩れていきます。その奇妙さの横で、読むという行為そのものの扱いはずっと単純で、古くから答えを探す姿として読まれてきました。
起きているときの読みは、レム睡眠中はほとんど働いていない脳の領域に大きく頼っています。そのため紙の上に現れるのは文章ではなく、文章らしさの印象です。中から見ると読んでいる感覚そのものなのに、内容は一行ずつその場で作られ、留めておくものがありません。だから目を戻したときには変わっています。夜の文字が安定しないのは例外ではなく普通のことで、起きているときの読む力とは何の関係もありません。
古い夢の本は、読書を教えを求める姿として扱います。黙って読む場面は一人で考えていること、声に出して読む場面は他の人に分かってほしいこと、人前で読む場面は評価されている絵として説明されます。白紙、破り取られた頁、知らない文字で書かれた紙は、隠されている情報ではなく、まだ届いていない情報についての読みを集めます。
この夢が増える時期にも見当が付きます。試験勉強、資格の勉強、長い書類を抱えた週、寝る直前まで画面の文字を追っていた晩。読む量が多い時期ほど、眠りの中でも紙や画面が出てきます。文字を追う感覚だけが残って内容をまったく思い出せないのはそのためで、声に出さずに読んでいたはずなのに意味だけが直接届いた、という報告も多く残っています。
行為そのものより、何を読んでいたかが手がかりになります。手紙、学校の教科書、契約書、小説では夢の向かう先がそれぞれ違い、この対象こそ半分だけはっきり覚えている部分になりがちです。読むことを仕事にしている人、あるいは子どもの頃に読むのが遅いと言われ続けた人にとって、この像は一般的な項目では代われない重さを帯びています。