一つの象徴が二通りに読まれ続けているのは、どちらの読みも合う人がいるからです。蝶を引くときは、辞典の答えより先に、その夢に流れていた気分を思い出すほうが早道になります。場面ごとの細部も並べました。
夢辞典で最も繰り返されてきた象徴を一つ挙げるなら、蝶がそこに入ります。幼虫から蛹を経て姿を変える生態がそのまま変化の読みになり、進学にも転職にも別れにも当てはめられてきました。ただ、何にでも当てはまる象徴は、実のところほとんど何も説明していません。夢そのものに変化の手ざわりがあったかどうかを確かめないまま、この読みだけを重ねてしまう例が多いことは、頭の隅に置いておく価値があります。
成虫でいる期間が短く、羽が少し触れただけで傷むことに重心を置く系統もあります。美しさが長く続かないことを前提にした読みで、変化の読みとは噛み合いません。ギリシャ語で魂と蝶に同じ語が使われたこと、東アジアで蝶を亡くなった人と結びつける言い伝えがあることも、この方向に厚みを加えてきました。ただしこれらは、それぞれの土地の伝承として紹介されるべきもので、どこでも通じる意味ではありません。二つの系統は、どちらかが正しいという形では決着していません。
どちらが近いかを決めるのは虫のほうではなく、その夢に流れていた気分だとされます。手や肩に止まる型は報告が多く、思いがけず力の抜ける瞬間として読まれます。追っても捕まらない蝶は、惹かれるのに手元に置けないものの姿とされます。片方の羽が傷んでいる場合は、途中で止まった変化と読む解釈者が多いようです。一度に何匹も舞う夢は、一つの大きな変わり目ではなく、目まぐるしい時期そのものを映すと説明されます。標本や図鑑の中に出てくる場合は、生き物としてではなく、留められて動かないものとして読む資料もあります。
蝶の夢が増える時期には素朴な説明もあります。虫の目につく季節や、庭仕事を始めた週のあとに報告がかたまることは珍しくありません。蝶が特定の庭や特定の人、ある年の夏と結びついている人にとっては、その私的なつながりが上の説明すべてに優先します。この辞典のどの項目も先のことを言い当てはしませんが、蝶はとりわけ、そうした役割から遠い象徴です。