分かち合う笑いと、的にされる笑い。同じ像でも中身は別ものとして扱われてきました。眠りの中で本当に声が出ることもあり、その部分には象徴の説明が要りません。止まらない笑いには別の読みが用意されています。
一緒に笑っていたのか、笑われていたのか。この一点で、笑う夢はまったく別の二つに分かれます。分かち合う笑いは、古い本が珍しく言葉を濁さずに書く像の一つです。気楽さ、居場所があること、圧が抜けること。そう読まれ、眠る前より晴れた気分で目覚めたという報告が多く並びます。笑われる夢の扱いはまったく違い、長く人目にさらされることと結びつけられてきました。評価の重い相手の前で、間の抜けた姿を見せる怖さです。
眠っている最中に、人は本当に声を出して笑います。自分の笑い声で目を覚ました人がいて、隣で眠る人がそれを報告し、記録も十分に積み上がっています。だから音の部分には象徴の説明が要りません。伝統がこの像を読むときに気にするのは解放で、そのうえで誰と笑っていたかを厳しく見分けます。
何がおかしかったのかは、目覚めるころにはほとんど忘れられています。だから手がかりは部屋の様子、顔ぶれ、知っている相手だったかどうかのほうにあります。声を上げて笑う夢と、こらえきれずに肩が震える夢とを別に語る人もいます。誰かの笑い声だけが聞こえて姿が見えない夢も報告され、やはり同じ線に置かれます。
おかしくもないことで笑った、止まらなくなった、という報告も多くあります。抑えのきかない笑いは、その場と気持ちがずれている状態を映す型として読まれてきました。葬儀の席や病院の廊下で出てくる、あの神経質な反応に近いものです。明らかに場違いな笑いも同じ線で読まれます。どちらにも不吉な含みはありません。眠りは合図を取り違えるのが日常で、起きていることと感じていることのずれは、夢がふだんからしていることの一つです。
どれも良い知らせを約束しません。夢の笑いは逆のことを告げるという古い言い分も、読みというより迷信です。像にできるのは、過ぎた一週間について何かを記録することです。起きているときによく笑う人と、笑いといえば的にされることだったという人とでは、同じ夢の重さが変わります。その私的な来歴のほうが、一般的な意味より信用に値します。