動く前の静けさこそが怖いのだ、とワニの夢はよく語られます。伝統はその静けさを二つの方向に読み、隠れた危うさとしても、じっと時を待てる途方もない忍耐としても書き留めてきました。
ワニは水の中にも川岸にもいて、どちらか一方の生き物とは言い切れません。この宙ぶらりんな立ち位置が、夢の記録では二通りに使われてきました。一つは、こちらに気づいていながら丸太のふりを続ける隠れた危うさ。もう一つは、動かないまま時を待てる途方もない忍耐です。同じ姿から正反対の読みが出てくるのは、この二面性のためだとされます。
中世の動物寓意集から広まった「ワニの涙」、つまり感じていない悲しみを演じるという言い回しは、ヨーロッパで後から重ねられた層です。実際にワニの棲む土地を持つアフリカやオーストラリアの伝承は、この動物をもっと細かく描き分けていて、怪物としてだけ借りた夢の本とは扱いが違います。不誠実さをめぐる夢にワニが顔を出すという読みは、この言い回しの側から来たものと考えられます。
これだけ意味の重い映像でも、入口はたいてい平凡です。動物番組、ワニのいる土地への旅、子どもと歩いた動物園、寝る前に見た映画。どれもありふれた出どころで、特別な説明は要りません。爬虫類を扱う仕事の人は、標準的な読みが前提にしている恐怖の気配がまるでない夢を見ますし、その場合は読みをまったく別の場所から始めることになります。
解釈する側は、ワニそのものと同じくらい水の状態を見ます。水は多くの伝統で感情そのものを指すからです。濁って底の見えない水にいるなら、認めないまま溜めてきた気持ちのように、深さが自分でもわからない感情と並べられます。乾いた陸に上がっているなら、少なくとも正面から眺められる問題へと読みが移り、岸に半分だけ上がった姿はその中間として扱われます。
気づかれずに遠くから見ているだけの場面は自覚と重ねられ、追われる場面は、耐えがたいほど遅い動きだったと語られることが多く、長く遠巻きにしてきた課題と並べられます。水面から目と鼻先だけを出している姿は、まだ全体の見えていない事柄の絵とされます。辞典の一行より、起きたときに残っていた実感のほうが確かな手がかりです。