白馬は幸運、黒馬は困難。この対応は地域をまたぐと裏返ってしまうため、鍵としては扱いにくい部分です。読みの中心に置かれてきたのは毛色よりも、手綱が利いていたかどうかのほうでした。
乗馬をする人からの報告が多い夢です。週末に馬に乗った翌日、その感触がそのまま夜に出てくることは珍しくありません。それを差し引いてなお、この項目が古い夢事典で厚く扱われてきたのは、馬が移動手段であり、農耕の担い手であり、戦の道具でもあった時代に書かれたからです。受け継がれたのは、自分のものとは言い切れない力の像でした。強さと勢いと自由がひとまとまりになっていて、それを御しているのか、ただ運ばれているだけなのかという問いが常に付いて回ります。
古い資料は毛色にこだわります。ヨーロッパ系の記述では白馬が幸運、黒馬が困難や謎とされる一方、同じ組み合わせが逆の値で現れる地域もあります。白が祝いの色である文化と、喪の色である文化があるからです。国境をまたぐと裏返る決まりは、鍵ではなく土地の習わしとして扱うのが妥当です。毛色より先に、その馬が誰のものだったかを見る資料もあります。自分の馬か、借りた馬か、持ち主の分からない馬かで、扱える力の性質が変わるという読み方です。
呼吸の合った状態で乗っている夢は、伝統的には能力の側に置かれます。大きなものを、力ずくで抑えつけずに扱えている感覚です。逆に手綱を振り切って走り出す馬は、握力から抜け落ちた勢いと読まれます。仕事や家庭の規模が誰の想定よりも早く膨らんだ時期に、この形はよく報告されます。落馬は挫折に体裁の悪さが混ざったものとされます。人知れずつまずくのと違い、落ちる場面には見られているという感覚が伴うからです。遠くに立ってこちらを眺めているだけの馬は静かな変種で、まだ取りに行っていない可能性として読まれます。
厩舎の近くで育った人が持っている連想を、競馬中継の画面越しにしか馬を知らない人は持っていません。前者にとって馬は体温があり、金がかかり、時に機嫌の悪い生き物です。後者にとってはまず象徴で、生き物なのはその次です。夢の中で馬に触れたかどうかも、この差をよく映します。手触りを覚えている人は現実の記憶のほうから、遠くから眺めていただけの人は象徴のほうから読み始めることになります。