握る、拒む、差し出す。手の夢は動きのほうに意味が宿るとされ、汚れや空白や拘束といった状態がそれを補います。伝統的な型を追ったうえで、腕のしびれという説明も同じ重さで置いておきます。
手の夢で取り出す値打ちが最も大きいのは、その手が何に向かって伸びていたかです。握る、拒む、差し出す、押しのけるといった動きのある夢は、ただ手があるだけの夢よりずっと扱いやすく、意味は動詞のほうに宿ります。解釈の伝統で手が行いの力として読まれてきたのも、この理由からです。何ができるのか、今何をしているのか、人に対して何をしているのか。
手を洗う場面は、罪悪感から自由になりたい願いの象徴とされてきました。舞台の台詞から夢判断の書物へ、ほぼそのまま移った読み方です。目に見える汚れも同じ線上にあり、関わりたくない事柄に巻き込まれている状態とされます。差し出された空の手のひらは、何かを期待されている場所で渡せるものがない絵です。縛られた手や動かない手は、頼まれてもいないのに引き受けた制約として読まれます。反対に、何かをしっかり握っている手は、手放したくないものが残っている絵として説明されます。
手首についているのに自分のものではない手は、柄にもない振る舞いの比喩とされ、この型を語る人はたいてい、その夜でいちばん不気味だったと言います。怪我をした手は、古い資料では失われた能力として読まれ、健康についての報せとしては扱われません。相手の手を握り返したか、振りほどいたかまで覚えているなら、そこが読みの中心になります。
腕は夜のあいだに、驚くほど普通にしびれます。肩の置き方ひとつでそうなり、重い手やちりちりする手は、そのあとの筋書きに入り込む道をあらかじめ持っています。しびれたまま眠り続けるだけで、言うことをきかない腕の場面は十分に生まれます。一日中同じ道具を握っていた日や、手を酷使した翌朝の感覚も、そのまま夢に持ち込まれます。
手で何を生業にしているかは、どんな一覧よりも絵の色を変えます。左官と看護師とピアニストは、まったく同じ場面から違う感情を持って目覚めます。手を使う仕事から離れて久しい人にとっては、また別の絵として届きます。誰の手だったかを思い出せない夢も珍しくなく、その場合は動きのほうだけを頼りに読むことになります。