何を言われたかより、部屋の匂いや決まった椅子のほうを覚えている、という語りが多い項目です。伝統は続いていくものと世話を重ね、告げられた言葉の扱い方については立場が分かれてきました。
眠っていた人が覚えているのは、たいてい言葉の中身ではありません。部屋の匂い、煮炊きの音、決まった椅子、手の皮膚の感じ。祖母はこの人物単体ではなく、家ごと現れる象徴として扱われてきました。伝統的な読みもその舞台に沿っていて、続いていくもの、家とその物語を保つ役、頼まれる前に差し出される世話といった意味が重ねられます。
何かを告げられたという語りが非常に多いのも、この項目の特徴です。ひとことの戒め、指示、答えられない問い。言い伝えの側はそれを世代を超えて手渡される導きとして扱い、より近代寄りの読み手は、聞く用意のある声を借りて自分が話しているのだと考えます。どちらの立場でも、内容そのものを吟味する値打ちは残ります。従う対象として扱うより、そのほうがずっと安全です。
引き金が日常にあることも多いものです。法事や帰省の前後、古い写真が出てきた日、片付けで見覚えのある器が現れた日。命日の近くに見たという語りも昔から知られています。象徴を探す前に、直前の数日に祖母の名前が出る場面がなかったかを思い返すと、それだけで片付くことがあります。
古い本がこの人物を家の中に置いたのは、その本が書かれた時代の家がそう組み立てられていたからで、祖母という存在の本質から出てきた話ではありません。規則としてではなく歴史として読むのが妥当です。実際には、商いを回していた祖母、畑を持っていた祖母、一人で海を渡った祖母、戦争のあいだ一族をつなぎ止めた祖母に会う人がいます。夢の中の姿は、教科書的な割烹着ではなくその生涯を運んできます。
椅子に座っているその人は、本に載っている原型ではありません。祖母に育てられた人にとって、そこにいるのは母の位置にいる人です。冷たい祖母だった人、一度も会わなかった人にとっては、そこにあるのは不在で、不在はまったく別の読み方になります。自分の来歴を先に置き、一般的な意味を後ろに回すほうが実際に近づきます。