激しく泣いているのに何も感じない、という型がこの項目にはよく届きます。古い資料はこれを、まだ名前のついていないものが外へ出ている状態として扱ってきました。悲しみそのものより、放出に近い位置に置く読み方です。
受け継がれてきた解釈は、夢の涙を長らく圧力の出口として扱ってきました。悲しみそのものより、安堵に近い位置です。そして珍しいことに、この項目には身体の側の裏づけがあります。眠っている間に涙が出るのは実際に起こることで、感情的に重い一日のあと、喪の期間、そして夜の深い時間帯に多く報告されています。
見た人が最も不思議がるのは、激しく泣いているのに何も感じていない、むしろ落ち着いているという型です。古い資料はこれを難なく扱い、起きている意識がまだ名前をつけていないものが外へ出ている、と読みます。自分は泣くほうではないと言う人ほどこの型を語るのは、この読みを裏づけるものだと考えられます。
古い資料は、誰が泣いていたのか、そしてそれを誰が見ていたのかで場面を分けています。よく引かれるのは次の四つです。
涙の夢は、泣くのを我慢した日のあとに語られることが多くあります。葬儀の前後、看病が続いている時期、別れの手続きを進めている数週間。こうした期間は夜のほうが素直になります。花粉の季節や、寝室が乾いていて目に違和感があった夜に涙の絵が出ることもあり、身体の側の理由も候補から外さないほうが確かです。
ここから先は辞書の役目ではありません。何について泣いていたか、そして昼間の自分が泣きやすいかどうかが、このページのどの意味よりも多くを教えます。喪失のあとの涙は悲しみが普通の仕事をしているだけで、上から解釈を重ねる必要はありません。つらい夢が続いて消耗しているなら、意味を調べるより、眠りそのものについて専門家に相談するほうが役に立ちます。