新しい傷なのか、古傷が開き直したのか。伝統的な解釈が最初に見分けるのは、そこです。抱えている痛みの象徴として扱われ、体の状態について何かを告げるものにはなりません。傷のあった場所も手がかりになります。
この読みがまず気にするのは、傷の古さです。血の出ている新しい傷は、今まさに日々感じている痛みとして解釈されます。古傷が開き直す場面は、終わったと思っていたことが、最初のときとよく似た状況によって呼び戻された状態として読まれます。ふさがりかけている傷や、誰かに手当てされている傷は、世話を受け入れることの象徴とされ、多くの人にとってこちらのほうが難しい半分だと語られます。何度巻いても血がにじむ、包帯が取れないといった細部は、まだ手当ての途中だという感覚として扱われます。
「古傷」「また開いた」「あの一言が刺さった」。夢事典より先に、ふだんの言葉づかいがこの像に手を伸ばしていました。伝統的な解釈もちょうどその線を走ります。まだ癒えきっていない痛みで、抱えているものとして理解され、体についての知らせとして読まれることはありません。
ここははっきり書いておきます。夢は診断の道具ではありません。傷の夢を見たからといって、自分や大切な人の体に異常があるという意味にはなりません。健康を心配する理由にも、実際の症状について専門家に相談するのを先延ばしにする理由にもなりません。向きは一方通行です。夜のあいだの本当の痛みや不快感が像になって現れることはよく知られていて、けがの回復期に傷の夢を見る人が多いのはそのためです。怖い夢が長く続いて眠りそのものが削られている場合は、意味を調べるためではなく、睡眠のために医師へ相談する手があります。
傷の位置で感じ方が変わるという人は多いようです。手は仕事やできることに、顔は人からどう見られているかに、足は自立に通じる読みとされてきました。誰の傷だったかも同じくらい問われ、自分の傷は抱えているものとして、他人の傷は心配している相手として読まれます。そして実際に大きなけがをした経験のある人は、その記憶ごと夢に入ります。手術の跡や古いやけどの跡が出てきた人は、その日の出来事ごと像に含まれていたと語ります。その場合、夢は記憶が夜にしている普段の仕事にすぎないこともあり、象徴の読みがそれを上書きしてよいことにはなりません。