二方向にのび、片方には労力がかかり、もう片方には速さがある。階段はこの形のまま長く読まれてきました。それでいて実際に記憶に残るのは、構造のほうが失敗している場面ばかりです。
階段の夢で覚えているのは、たいてい構造が失敗している場面です。段が足りない、いつまでも終わらない、踊り場がない。もともと階段は、意味を形そのものの中に持っている数少ない夢の絵です。二つの方向にのびていて、片方には労力がかかり、もう片方には速さがあります。だから読みは昔から階の変化に使われてきました。立場、気分、理解、あるいは家という形を借りた人生の中で、自分がどちらへ向かっているかです。
よく語られる変形は、だいたい次のように整理されています。
どれも予告ではありません。進む方向についての感じを述べているだけで、それは別のことです。同じ階段が夢の中で別の建物につながっている場合も、構造の失敗の一種として数えられます。
上る場面は、代価を払っている進み方として注釈されます。息を切らして上りきったと語る人は、その週について正確なことを述べていると受け取られます。下る場面の読みはもっと分かれます。衰えと呼ぶ伝統もあれば、置いてきたものを取りに戻る動きと呼ぶ伝統もあり、近ごろの一覧は後者に大きく傾いています。階段の途中で動かずにいる夢は迷いの絵の仲間に入り、この場面はとりわけ多く語られています。一段飛ばしで駆け上がる夢と、手すりにつかまって一段ずつ進む夢では、同じ上りでも受け取り方が変わってきます。
上り下りのつらい階段のある家に住んでいる場合や、最近そこで転んだばかりの場合、この絵は運命ではなくその日を報告している可能性が高いとされます。感覚と直近の記憶は、象徴よりずっと簡単に夢へ入り込みます。引っ越したばかりで段差の高さに体が慣れていない時期にも、この絵は増えると語られます。夜中に足元を確かめながら下りた記憶が、そのまま場面になることもあります。