何かに申し込んだあとで、進み方に口を出せないと気づいた時期に報告が集まる像です。自分ではない手によって加えられる変化として読まれ、診断とは無関係のものとして扱われてきました。
手術は本人が承知したうえで始まり、始まったあとは手出しができません。読みが繰り返し戻ってくるのはこの組み合わせで、像を使う夢は、何かに申し込んだあとで進み方に口を出せないと気づいた時期に多く報告されます。日取りが決まってから当日までのあいだに増えるという話も、古くから同じ形で残っています。麻酔には別の注記があり、多くは、いないあいだに時間が過ぎることについて語られます。
報告は現実の医療の出来事のまわりに寄ります。手術の前、その後の数週間、検査の結果を待つあいだ、家族の誰かが入院している時期。どの場合も、置いておけないものを繰り返し思い浮かべるという、ごくふつうの働きをしています。そうした事情が何もないときに受け継がれてきた読みは、意図された変化のほうを指します。自分ではない手によって、取り除かれたり直されたりするものです。
手順そのものより、体のどこかのほうが読みを決めてきました。目にかかわる場面は、物の見え方が変わることと結びつきます。手はできることに、心臓は人に見せない領分に重ねられます。ほかの人が手術を受けている場面、あるいは自分が執刀している場面になると、絵全体が責任の側へ動き、助けようとして傷つけてしまう怖さが加わります。痛みのないまま眺めている型は、距離を置いている状態として読まれます。終わったあとの場面も別に記録されていて、傷あとや縫い目が残っている型は済んだ変化がまだ生々しいこととして、待合室で順番を待っているだけの夢は始まる前の宙ぶらりんな時間そのものとして扱われます。
はっきり書いておきます。この像は誰の体についても何かを診断するものではありません。特定の部位についての合図でもなく、あわてる理由にもなりません。夢を読むという習慣は、絵に問いを立てる古いやり方であって、検査の道具であったことは一度もありません。手術を受けたことのある人、誰かの手術に付き添ったことのある人には、一般的な読みでは上書きできない個人的な重みがあります。事典の意味は、記憶よりずっと後ろから届きます。