夢の中で刺された、と語る人は実はあまり多くありません。多くは動かずに見ていたと話します。解釈が敵意と守り手の二つに割れたまま残ってきたのも、この生き物が近くにいながら何もしない時間の長さと関わっているようです。
刺された話をする人は、実はあまり多くありません。サソリの夢を語る人の大半は、動かずに立ったまま、どちらへ行くのかを目で追っていたと話します。古い解釈がきれいに二つへ割れているのも、この生き物が近くにいながら何もしない時間の長さと無関係ではないようです。ヨーロッパで長く伝えられてきた読み方では、近くに潜む敵意の象徴とされます。小さくて見落としやすく、うっかり踏んでしまう危うさです。砂漠の側から伝わったもう一つの読み方では、同じ生き物が近づきすぎたものだけを刺す番人として扱われます。
解釈する側は、その待っている感じに注目してきました。すでに壊れた状況ではなく、まだ誰も口に出していない職場や家族の気まずさなど、様子を見ている最中の事柄を指すという読み方です。実際に刺される場面が出てきた場合には、近い距離から届いた鋭い一言や裏切りに重ねる解釈が伝統的とされます。人間関係についての読みであって、それ以上のことを述べるものではありません。
日本ではまず出会わない生き物なので、映像作品の記憶や旅先で聞いた注意書き、虫そのものへの苦手意識が下敷きになっていることも多いようです。前の晩に見た番組がそのまま出てきただけ、という説明が当てはまる場合は、そちらを先に差し引いて構いません。
毎朝ブーツを逆さに振ってから履く土地で育った人と、写真でしか見たことのない人とでは、同じ絵の重さがまるで違います。見慣れているかどうかで、記憶が用意する形も変わります。星占いに親しんだ人はさそり座と重ねたくなるかもしれませんが、伝統はこの二つを分けて扱ってきました。星座は生まれた日付と時刻から計算されるもので、夢に出た生き物は記憶が用意した映像です。