夢の中の鶏はたいてい騒がしく、どこか慌ただしい姿で現れます。伝承が与えた役割は地味なもので、言い回しから来る連想や、前の日の台所の記憶まで含めて読まれてきた項目です。めんどりと雄鶏では読み筋も分かれます。
夜明けの声、羽をばたつかせる音、地面をつつく足。ニワトリは夢の中でも騒がしく、そして徹底して身近です。伝わってきた解釈もその身近さを崩さず、この鳥に与えられた役割は家まわりの小さな用事、派手ではないが確かな実り、それに自分の持ち場を守ろうとする落ち着かなさでした。特別な出来事の知らせとして置かれることは、ほとんどありません。
鶏をめぐる言い回しは、そのまま夢に入り込みます。日本語には「鶏は三歩歩けば忘れる」という言い方があり、物忘れや落ち着かなさと重ねられてきました。英語では鶏が臆病さを指す言葉として長く使われ、慌ただしいだけで実りのない動き方のたとえにもなります。ここしばらく「そんなに慌てるな」と言われ続けた人が、伝承とはまったく関係なくこの絵柄を見ることは珍しくありません。解釈する側も、その言葉遊びをそのまま意味として受け取ることが多いようです。
ヨーロッパでも東アジアでも、農村に伝わる解釈はめんどりに地味で安定した役割を与えています。ひなを連れためんどりは世話そのもの、そして自分を頼る相手への責任を表すとされます。卵を産む姿は、届くというより積み上がっていく種類の実り、つまり地道な仕事がゆっくり返ってくる形と重ねられてきました。何かに驚いた鶏が一斉に散る場面は、小さな動揺が集団を走り抜ける様子を描いた古い型のひとつです。夜明けの雄鶏の声は知らせや呼び出しと読まれ、心の準備が整う前に何かが告げられる感覚として語られています。
読み方は、鶏と暮らした経験があるかどうかで大きく変わります。毎朝えさをやって育った人にとっては体温のある具体的な生き物ですが、皿の上でしか見たことがない人には食べ物や生々しさの話に寄っていきます。子供のころ気の荒い雄鶏に庭を追い回された記憶があれば、穏やかな象徴にはなりません。まず自分にとっての鶏を置き、伝わってきた解釈はその後ろに並べるほうが無理がありません。
前の晩に鶏肉を下ごしらえした日、近所の鳴き声で目が覚めた朝、卵を切らしたまま閉めた冷蔵庫。そんな些細な出来事がそのまま絵柄になることもあり、意味を探す前に前日を思い返す価値はあります。