読まれているのは制服のほうで、中の人ではありません。身につけた決まりごとの声として扱う筋と、助けが到着した場面として扱う筋が並び、どちらに寄るかは、その場面の向きが決めてきました。
夜中に聞こえたサイレン、駅前で見かけた巡回、免許の更新、事件の報道を長く見ていた晩。眠る前に入ってきた場面がそのまま材料に使われているだけということは、この像ではとくによくあります。それでも警察の夢を、何の感情もなく見たという人はほとんどいません。
伝統的な読みが見ているのは制服であって、中の人ではありません。多くの場合は抽象的な権威として、つまり身につけてきた決まりごとや、自分に課している基準、何が許されるかを判断する内側の声として扱われます。まったく逆向きの読みもあり、そちらでは秩序のなかった場面に秩序が到着したものとして受けとられます。同じ人物が両方の意味を担うため、どちらなのかは場面がほとんど明かしています。
見張られる、あとをつけられるといった型は、自分で自分を点検している状態に重ねられます。事情を聞かれる場面は、説明を求められていると感じている出来事に結びつきます。制止される場面と、身元を確かめられる場面も分けて扱われ、前者は進めていた事柄への待ったとして読まれます。届け出ているのに信じてもらえないという型は別に立てられていて、警察そのものより、話が届いていないという感覚として読まれます。
制服が夢のなかで持つ意味は、その人の生活のなかで持っている意味に大きく引きずられます。身内に勤めていた人がいる場合、後味の悪い夜が記憶に残っている場合、道を尋ねた以上の関わりがない場合では、同じ像から出発しません。古い解釈集は前の二つの立場から書かれたものが多く、その色がそのまま残っています。自分の経験に合う読みを取り、残りは脇に置いてかまいません。
実際の手続きや法律の判断について、この夢から得られるものはありません。困りごとが現実にあるなら、力になれるのは資格を持って対応する人たちです。夢が指せるのはせいぜい、いまどこで裁かれていると感じているかという一点で、それは街の権威よりずっと身近な場所にあります。