かくれんぼが子ども時代のいちばん楽しい時間だった人は、この夢を恐怖ではなく高揚とともに語ります。同じ行為が回避にも自衛にもなるため、読みは場所ではなく感覚の側から始まります。
隠れる夢で残るのは、隠れ場所そのものよりも、そこで息を潜めていた時間の質感のほうです。伝統はこの行為を、回避と自衛の両方として読んできました。隠れ場所は見られることの拒否であると同時に、本当に安全な場所でもあるからです。その夜が怖かったのか、それとも安らいでいたのかは、二つのうちどちらが強く働いていたかで決まります。
窮屈で息が詰まる感じと、狭くても見つからずに済んでいる安心とでは向きが逆になります。かくれんぼが子ども時代のいちばん楽しい時間だった人には、恐怖ではなく高揚を伴って現れることがあり、その反応のほうが手がかりとして優れています。隠れる場所そのものにも報告の偏りがあります。押し入れ、机の下、階段の裏、乗り込んだままの車。どれも狭くて出口が一つという点で共通していて、古い資料はこの一本道の感じを、選択肢が減っている状態と重ねてきました。
返していないメッセージ、開けていない封筒、手帳の上で3週間繰り越されている用事。この夢が出てきたときに人が挙げるのは、そういう小さな回避です。眠りはそれを名指ししません。避けているものを劇にして見せるので、場面全体が切迫していながら曖昧という、妙な質感になります。同じ人が同じ場所に繰り返し隠れる形も珍しくありません。
読む側はつい、追っ手が誰かを特定してそこで止まります。それより、立ち上がって見つかっていたらどうなっていたかを考えるほうが役に立ちます。その答えが夢の主題そのものである場合が少なくありません。