星座か、流れ星か、ひとつだけ光っている星か。夢に出た星の形によって、古い資料は別々の読みを用意してきました。共通しているのは、どれも未来の知らせとしては扱われないという点です。
報告がいちばん多いのは流れ星です。短くて目を引くもの、掴む前に終わってしまうものという説明は、文化をまたいでも珍しく揃っています。ただし星の夢全体は、方向の違う二つの古い読みに引っぱられています。船乗りや旅人が頼りにした動かない目印としての星と、美しいのに永久に届かない距離としての星です。どちらも古く、片方がもう片方を打ち消すことはありません。
占星術を扱う場所なので、はっきり書いておきます。出生図は特定の日付と時刻と場所における惑星の位置から計算されるものです。夢の中で星がどう動いたかはまったく別の事柄で、この二つをつなぐ伝統はありません。夢日記に星が出てきたからといって、図の読みが変わることもありません。
どちらの読みが合うかは、夢の中で何をしていたかでおおよそ決まります。星で方角を取る、あるいはひとつの星に向かって歩く場面は前者に入り、方向が見つかった、または探している最中と説明されます。ただ見上げているだけ、とくに胸が痛むような感じを伴う場合は後者です。明るい一等星に願いをかける習わしはヨーロッパの民間の作法であって、どこでも通じる読みではありません。日本では七夕の短冊のほうが近い位置にあり、こうした習慣を夢の中に持ち込み、そのまま読み取っている場合がよくあります。
星がひとつずつ消えていく場面はずっと少なく、可能性が細っていく像の仲間に置かれます。星が近づいてくる、あるいは異様に大きく見える場面もときどき報告され、距離の像が崩れた形として扱われます。一面の星空に息が詰まるほど圧倒されたという報告も多く、こちらは規模の像です。自分の抱えている事柄が、その大きさの前で並べ直される感じだと語られます。どの形であっても、注意深い読み手であれば未来の知らせとしては扱いません。
文脈のほうが強く働きます。天文に詳しい人、海の上で働く人、街の明かりの下で天の川を見たことのない人は、同じ夜空から別の星を持ち帰ります。