覆いでもあり感覚器でもあるという二重の性質が、読みを守りと接触の二方向へ分けています。剥がれる、硬くなる、覆われるといった振る舞いが変種を作り、体についての判定はここには含まれません。
実際に語られる肌の夢は、見た目よりも振る舞いに関わるものが多くなります。剥がれ続けて止まらない肌は、みっともないと本人が感じている変化の時期と重ねられます。硬くなった肌は積み重なった身構えの像です。塗料や布や埃で覆われた肌は見せ方の問題に寄り、何を見せて何を見せないかという話になります。
肌はひとつの器官でありながら、覆いでもあり感覚器でもあります。受け継がれてきた読みが二方向に分かれているのはそのためです。覆いとして見れば守りと私生活の領域に属し、薄くなる肌やめくれる肌は十分に守られていない感覚として語られます。感覚器として見れば接触の側に属し、触れられた感覚だけが妙に鮮明な夢は近さを登録している場面として読まれます。服を着ているのに肌が外に出ているように感じる夢も、この二つの境目に置かれてきました。きつすぎると感じる肌の報告はどちらにも収まりきらず、そこが落ち着かなさの正体だと考えられます。
この種の夢が体の側から始まることは多いとされます。暑すぎる部屋、日焼けに触れる寝具、目覚めるところまで届かなかったかゆみ。そうした感覚がそのまま物語に取り込まれます。日焼けやかゆみの記憶が新しい時期には、質感についての報告そのものが増えるとも言われます。乾いた季節に、粉を吹くような肌についての語りが集まるという記録も残っています。触れられた側なのか触れた側なのかで印象が変わるという報告もあり、解釈者はこの向きも細部として数えます。
肌の色に意味を割り当てる解釈は各地の古い一覧に残っていますが、ここでは採りません。それらが伝えるのは、一覧を作った社会についてであって、夢を見た人については何も語らないからです。傷やあざの位置に一対一の意味を割り当てる古い表も、同じ理由で採用しません。夢は誰の体も診ませんし、この項目は健康について何の主張もしません。治療の経験や、見た目をめぐって周囲から受け取ってきた言葉のほうが、受け継がれたどの読みよりも強く絵を決めます。