アリを覚えている人が語るのは、たいてい一匹ではなく列です。その数の多さに、古い解釈は勤勉さと煩わしさという正反対の意味を重ねてきました。どちらに転ぶかは場面の感触しだいだとされます。
台所の隅で一匹見つけたときに人が探すのは、二匹目です。アリはそういう見られ方をする虫で、夢の中でもまとまって現れます。古い解釈が読み取ってきたのも一匹の姿ではなく、途切れずに続く数のほうでした。小さいものが延々と続くという同じ性質が、勤勉さの象徴にも、煩わしさの象徴にもなります。
ヨーロッパの古い夢の書物は、アリ塚を倹約と労働の手本として扱いました。誰も拍手しない場所で静かに積み上がっていく仕事、という読み方です。うまく回っている家庭や職場に重ねられることもあり、この系統では好ましい側の象徴に数えられてきました。
もう半分の伝統はずっと厳しく、パンや寝具や衣類に入り込むアリを、一つ一つは大したことのない面倒が重なっていく状態と結び付けてきました。眺めていたのか、それとも自分の肌の上にいたのか。この一点で振り分ける解釈が多く残っています。
虫の夢は虫との遭遇のあとに来る癖があります。台所にアリが出た夏、庭石を持ち上げた午後、寝る前にかゆかった虫刺され。どれも象徴とは無関係に同じ絵を頭の中へ置いていきます。眠っている間の皮膚感覚も大きく働き、掛け布団の縁や落ちた髪の毛一本が、確かめられるほど目が覚める前に群れへ変わっていきます。
アリが自分にとって何を意味するかは、ここに書かれたどの解釈よりも上に来ます。一季節ずっと庭で眺めてきた人と、寝室の壁の中で大量発生に遭った人とでは、同じ列を見ても残るものが違います。目覚めた瞬間にどちらの感触へ近かったかを、まず思い出してみてください。