嵐が過ぎた後まで続く夢は、嵐そのものより情報が多いとされます。屋根の下から眺めていたのか、遮るもののない場所にいたのか。読み方は天気ではなく、そこでの位置から始まり、天気そのものは後回しになります。
天気が終わった後まで続く嵐の夢は、覚えておく値打ちがあります。濡れて静かで、傷んだところが見えている景色は、安堵と勘定の混ざった場面です。解釈者はふつう、こちらのほうを情報の多い夢として扱います。何が残ると見ているかが表れるからです。その段階で目覚めた人は、直前の騒がしさより静けさのほうをよく覚えていると語ります。
嵐そのものより、そのなかで何をしていたかが重みを持ちます。建物の中から眺める夢は、安全な距離から見た困難として読まれ、穏やかな側に数えられます。遮るもののない場所で捕まる夢は、支えのなさを感じている時期に寄り添うことが多い型です。天気に逆らって歩く、車で抜けていくといった場面は粘り強さとして読まれ、古い一覧がこの型を好んだのは、見ている人の側に主導権が渡るからだとされます。
近づいてくる嵐と、すでに真上にある嵐も別々に扱われます。遠くの光だけが見えている場面は、まだ距離のある心配として読まれ、一緒に暮らす人を先に避難させる場面は、自分の不安より他人への責任が前に出ている型とされます。いずれも順番の話で、良し悪しの判定は付きません。
眠っている耳には音がいちばん届きます。実際の雷、窓を打つ雨、屋根をあおる風は、そのまま夢のなかの天気として現れます。まずそこを外してから考えるのが順序です。静かな夜だったのであれば、受け継がれてきた読み方は、そっと抱えていられる限度を越えた感情の圧力になります。梅雨の長雨が続いた週にこの夢が増えるのも、同じくらい平凡な理由からです。
嵐は、子どもが最初に怖がることを覚えるものの一つで、その恐れは何十年も残ります。台風で家が傷んだ経験や、一晩中家族が眠れなかった夜があるなら、この映像は比喩よりも先に記憶です。象徴から読み始めると順序を取り違えます。どれも天気の予報ではありませんし、それ以外の予告でもありません。この場面が招くのは、何がいつから溜まっていたのかという問いのほうです。